ごはんを2倍おいしく食べる方法




みなさんお久しぶりです。

さかちょもです。

記念すべき最初のトピックは、
ラマダン(プアサ)&レバランに関して。

インドネシアは、イスラム教徒が八割も住んでいます。初めてジャカルタの地に降り立ったときヒジャブ(女の人が肌を見せないために顔を布で覆う布のこと)をまとう女性を初めて目の当たりにして、なにかが違うと肌で感じたのを思い出しますw

でも、全員が全員ヒジャブをしなければならないわけではなく、信仰の強さによって、するしないは選択ができるみたいです。選べちゃうんだ!って最初は衝撃。


そして、ラマダンとレバランは、イスラム教徒にとってとても大事な行いです。

ラマダンとは、イスラム教徒が採用しているヒジュラ暦の9番目の月のことを指していて、断食月のことをいいます。プアサとは、インドネシ語でいう断食を意味します。

ラマダン期間は、政府が毎日発表する、陽が登った時間から陽が沈む時間までプアサをします。そして、陽が沈んでいる間に、ご飯をたべます。だから、みんなテレビ放送や、スマホアプリで毎日その時間をチェックして動いてるらしい。


私もそのアプリをダウンロードしてみました。笑  ムスリムは、毎日五回のお祈りをするので、そのお祈りの時間と断食明けの時間と断食開始の時間が載っています。毎日微妙にずれているからおもしろい。こんなに太陽を意識して生きる事は、ないなと思った瞬間でしたw


インドネシアでの太陽の動きでいうと、18時pm〜4amくらいの間に、18時に一回と4時に一回の2回ご飯を食べます。これが他の国に住んでいるイスラム教徒だと太陽の動きが違うので、ロシアとかでは、陽がのぼりっぱなしで超相当きついらしい。


ほぼ半日、水も飲めない、食べ物は。もちろん食べられない。一緒の空間で暮らすのもなかなか気を使う一ヶ月間でした。街中の飲食店では、窓ガラスにカーテンをして、外から断食をしているムスリムに非ムスリムが食べているところを見えないように隠すなど工夫があったけど、あんまり隠れてなくて意味無いやん!っていう光景は、ほぼ全部の店に見受けられました。笑


プアサは、コーランに載っているからするというのはもちろん、他者を理解する時間にもなるそう。人の気持ちを考えて、イスラム教の根底にある相互扶助の考え方により磨きをかける時間なのかと思ったり。助け合い。あるものをみんなで分かち合う文化は、生活の節々で見られるので素敵な国だなと思います。

こんな過酷なことを一ヶ月間もよく続けられるおもっていたら、毎日、ムスリムは、そのあとに普段とは違う食べ方をきていました。

というのも、断食明けのごはんは、家族はもちろん親戚中が集まってごはんをたべたり、小学校の同級生、中学、高校、大学、今の職場など、とにかく大勢で集まってたべる習慣があるらしい。
わたしも何度かその集まりに厚かましく参加させていただいたのですが、とにかく規模が大きいw 10人以上は集まるし、友達の友達がいたりして、知らない同士の人も一緒にごはんをたべたり、たわいもない話をたくさんしました。周りを見渡してみると、そんな集まりがどこにもかしこにもあって、レストラン中が大賑わい。このたのしみがあるから、毎日がんばれるのね。と納得した瞬間でした。

そんな彼からは、写真をとって、SNSに上げるのが大好きな模様。グループに一人は東南アジアで超超はやりのselfie stickっていう、いわゆる”自撮り棒”をもっていて、その棒の先っちょにスマホをつけて、より多くの人と自撮りをたのしむ魔法の棒。(@ ̄ρ ̄@ こういうことを、するのは女子だけかなーとおもったら、男子もする。笑  7人くらいの男の子が、集まって変顔したりしてる。笑 その写真をみてみんなで大爆笑する。SNSにその写真をあげる。ずっとSNSにつくlikeをチェックしてて、likeをいっぱいもらったら、めっちゃlikeもらったよーって嬉しそうに見せてくる。お決まりのパターンw同い年男子がこんな素直に感情向き出すと照れちゃいます。なんか。笑

ということで少し脱線しましたが、みんなそれなりに断食を楽しんでいる模様でした。

そんな断食が終われば、レバランがやってきます。レバランは、インドネシアのムスリムの中で使われている言葉で、断食月明け休みのことです。

日本でいうお正月並みの大きく重要なお休みで、ジャカルタに出稼ぎに来てる人々は、地元にそれぞれ帰って、親戚中でそのお休み期間をすごします。

その時期を新しい服を着て、その期間を祝ったりするので、断食中にはショッピングモールで”断食セール”をやってたり。

いつも車の渋滞がすごいジャカルタは、人がいなくなって、さみしい風景に変わります。


その代わり、地方に向かう車の渋滞は、ものすごい。民族大移動。二億四千万人の全員が動かなくても、半分は移動してると考えたら、ガソリンも尽きるのではないかと思ったりします。w

そんなこんなで、長く書きましたが、こんな体験は初めてで、宗教が違えば考え方はもちろん変わるのですが、それを肌で感じた期間でした。

世界中にムスリムは散在していて、ガザでイスラエルと交戦しているハマスも多くはムスリムであり、この断食期間は、断食をしていて、レバランの中の12時間は、停戦するということも決まった。


宗教を意識することは、恥ずかしいながら、今までにまったくなく、この世界中のどこでもこれだけ宗教を意識して動いている現実があることを初めて身近に感じた。

人々の生活の根底を支える生き方に根強く宗教観が存在していて、他国の人々を理解するのに宗教を理解することはとってと重要なことだと思った。

宗教を知れば、これまで見えていなかった国家間の関係の中で起こる事件の深い部分を理解できるんじゃないかと思う。

そんな当たり前のことで、当たり前じゃなかったことを、実感した時間でした。